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Women at Work !  2


その日、社に戻った大地は、すぐに秘書の高野を自室に呼び入れた。
先代の時からの古株の社員が残っているため、現在の彼の地位はまだ秘書室のナンバー2だが、実質的には秘書室を取り仕切っている陰の室長だ。
側近の中でも、大地や弟の嶺河が一番信頼をおいており、あまり公にしたくないことや、プライベートが絡むような場合は、彼に取次ぎを頼むことが多い。

「ミューズ・シティの工事関係者の個人情報ですか?」
ミューズ・シティとは件のビル群の総称だ。棟やブロック毎に呼称が付いているが、施設全体としては関係者からはこう呼ばれている。
高野は「ふむ」と口をへの字に曲げた。こちらから情報を集めることは容易だが、本来これは朝倉建設の秘書がするべきことだ。高野は常日頃からあまり朝倉建設の秘書を高く買っていない。彼らは縄張り意識が強く、本社とは常に一線を画す姿勢をとるからだ。特に本社からの転籍組で社長付きの小嶋やその部下の有田は何事かあるとすぐにこちらを目の敵にするところがある。
以前、高野自身も良かれと思ってしたことで、建設側からきついクレームを受けたことがある。それ以来、必要以上に彼らのテリトリーに立ち入らないように心がけていた。

「これならば『あちら』の小嶋君でもできそうな気がしますが」
それを聞いた大地は渋い顔をする。
「それができないから君に頼んでいるんだ。小嶋が現場で彼女とちょっとやらかしてくれてね」

大地から今日の一件を聞いた高野は頭痛がした。
秘書たるもの、主がスケジュールをスムーズにこなせるようサポートをするのが鉄則だ。
もちろん、嫌なことや腹の立つことも多々あるが、それを抑えて物事を順調に進めてこそ参謀としての評価も上るというのに、自分が先走ってトラブルを引き起こし、予定を遅らせるとは本末転倒だ。

「ということで、内密に。よろしく頼む」
副社長から渡されたメモを渋々受け取った高野は、「承知いたしました」と言葉を残し部屋を出て行った。
その姿を目の端に捉えながら、大地は次のスケジュールをこなすべく電話を手に取ったのだった。



翌日、出社した大地のオフィスの机の上には、高野が用意した報告書が置かれていた。
やはり高野。こういうことはそつなくこなすし、何より動きが早い。

後でゆっくり読もうと思いつつ、何気なく捲ったページの記述に目を滑らせた彼は、その変わった経歴に思わず釘付けになった。
「純麗女学院高校卒?」
ここはいわずと知れた、関東でも屈指のお嬢様学校だ。
家柄はもちろんのこと、家庭の財政状況、本人の素行、学力が揃わないと入学できないとされる名門のミッション系女子校で、ほぼ100%が幼稚舎からエスカレーターで進級してくることで知られている。もちろん大学まで一貫教育を受けることが可能で、そこを出れば縁談に困ることはないという噂だ。

昨日のあのいでたちと、清楚な純麗女学院の制服がどうしても頭の中で結びつかない。
「どう見ても、170センチは超えてたよなぁ」
失礼な言い方だが、体型的にも、セーラー服よりガクランでも来ていた方がよほどしっくりくる感じだった。

そして読み進んだ大地がそれ以上に驚いたのは、彼女がその高校からストレートで国立のK大に進んでいることだ。そこで建築を学び、大学を出る時には2級建築士の資格を取っている、かなりの変り種だ。
その後、帰京して就職、そこで1級建築士資格を取得したとあるが、その就職先というのが、今回朝倉が工事を下請けに出した稲武工務店だった。

「妙だな」
彼女は本来なら現場に出るような立場にはない。どちらかと言うと、事務所で図面をひくことを仕事にしているような類の職種だ。
そんな人間が、果たして「とび」のような職人の世界に簡単に入れるとは到底思えなかった。ましてや今現在、巽組を仕切りながら、なぜかまだ、彼女の籍は稲武の会社に残ったままだ。そこからして、おかしな状況と言わざるを得ない。

「一度本人の口から話を聞いてみたいものだ」
大地は報告書を机に仕舞うと、デスクのインターフォンで高野を呼んだ。
「スケジュールを調整して時間を作ってくれ。できるだけ早急に」



数日後、大地は再びミューズ・シティの現場に来ていた。
今度はちゃんと前もって連絡を入れておいたし、羽織る上着やヘルメット、それから靴も最初から身につけて現場入りした。

前回の時、実は大地の社用車にはヘルメットや動き易い靴は完備されていて、取りに戻ればすぐにでも使える状態になっていた。
彼も建設会社の代表を務める人間だ。あまり頻繁に機会があるわけではないが、現場に出入りする必要があればすぐにでも対応できるだけの備えは心得ている。
あの時も、装備がなかったのは当初随行する予定のなかった小嶋の分だけだった。別段、小嶋が一緒にいなくても困ることのない大地は、居残りを命じたのだが、なぜか彼はそれに猛烈に反発した。そして装備もないままに責任者を探しに行ってしまったのだ。


案内役の巽陽南子と共に何箇所かのポイントを回り、クリップボードを見ながら工事の進捗の説明を受ける。
今日も彼女は作業服にヘルメット着用、安全靴といういでたちで、どう考えても先日の報告書にあった女子校のイメージにそぐわない。颯爽と前を歩く姿に、頭の中であの有名なセーラ服を着せてみて、思わず彼は含み笑いをしてしまった。

どう考えても、仮装とか女装としか思えない結果しか思い浮かばない。

「何か?」
怪訝そうな顔で見つめられたが、まさか失礼にも彼が思っていることを口にできるはずもなく、「いや、何も」と返すのが精一杯だった。

今日のこの現場には巽の関係者しかいないとのことで、時折すれ違う職人たちと陽南子は気軽に挨拶を交わしていた。

「これは、これは。朝倉社長ではないですか」
突然呼び止められたのは、粗方視察も終わり事務所に引き上げる頃だった。
「稲武社長」
声を掛けてきたのは、朝倉からこの工事を請け負った工務店の一つ、稲武の社長だった。
「先日はこちらの不手際があったそうで、申し訳ありませんでしたな」
「どこからそれを?」
「あの日すぐに朝倉建設の秘書さんの方から連絡がありましてね。生憎と私は他の現場に出ていたもので、対処できませんでしたが」
そう言うと、稲武は大地の側に立つ陽南子に一瞥をくれた。
「君ももう少し言葉を慎みたまえ。こんなだからいつまで経っても嫁の貰い手がないんだ」
そのあまりの言い様に、大地は、思わず眉を顰めた。だが、陽南子は小さく溜息をついただけで、平然としている。
「大きなお世話、と言いたいところですが、こればかりは仕方がありませんよ。とにかく私は自分より大きな男性が好みなので。小さい男の方だと、自分の大きさが恥ずかしくて隣に並べないですからね」

見たところ、稲武の身長は160センチそこそこといったところだろう。それをチクリと皮肉る、かなりキツい反撃だ。
同じように感じたのか、稲武も顔色を変えたが、大地の前では賢明にも何も言わなかった。否、咄嗟に切り返す言葉を思いつかなかったのかもしれない。

この二人のやりとりを聞いていた。大地は首を傾げたくなった。確か、この二人は上司と部下という立場のはずなのだが…。
しかし確かに陽南子の揶揄はキツいものだが、それ以前に稲武の放言はセクハラだ。普通の会社なら女性社員から袋叩きにされてもおかしくない。

「ほら、社長、だれかがお呼びですよ」
首から下げた稲武の携帯が鳴ったのを機に、陽南子が大地に目配せする。
「朝倉社長もお忙しいようですし、これで失礼します」
稲武に一声掛けると、陽南子は彼にくるりと背を向け歩き始める。慌てて大地がその後ろに付き従う姿を、稲武が憎憎しげに見つめていることに気が付かないふりで。


「大丈夫か?」
建物から外に出ると、陽南子は心配そうに問いかける大地に向かって豪快に笑った。
「こんなことは、よくあることですから」
「しかし、ここまでくると、セクハラだけでなくパワハラも含まれる。君もよく耐えているものだな」
大地の言葉に、陽南子は大きく肩を竦めた。
「特にこういう昔ながらの男社会の中にいると、どうしても…ね。仕方がないことです。いちいち相手にしていてはきりがない」


いまでこそ、こんな建設現場にもちらほら女性の姿を見かけるようになったが、やはりまだここは男中心の世界だ。
職人たちの中にも「女のくせに」とか「女だてらに」という目で彼女を見ている者がいることにも気付いている。その筆頭は悲しいかな、自分の祖父なのだから。

今回の仕事でも、源之助は彼女が巽組の者として現場に入ることを許さなかった。
だから陽南子は名目上、稲武の社員としてここに来ている。彼女が稲武の作業員と同じ作業服を身につけているのはそのためだ。

それに、巽の職人たちとて、彼女に全幅の信頼を置いているわけではない。体調を崩している親方の代わりというよりも、子供の頃から職人たちに可愛がられていた「親方のお孫さん」だから彼女を受け入れてくれているに過ぎないことは充分に分かっていた。

半年近く前、陽南子は稲武を辞めて巽組に入りたいと祖父に嘆願した。
この数年というもの、源之助は体調を崩しがちで、無理をして現場に出てはしばしば病院に担ぎ込まれていた。そんな祖父のためにも、できれば組の中から屋台骨を支えたいと思ったからだ。
元々陽南子は現場に出ることを苦にしない。だから稲武いても図面を引くより外に出されていることの方が多いくらいだ。
だが、彼女が巽の中に入ことは容易いことではない。特にビル工事などで鉄筋を扱う「とび」は、その技能を修得するのに何年もかかることがある。マニュアルどおりにこうすれば良いというものではなく、その時々の判断で仕事を進めていかなければならない職人には、経験と熟練した技が求められるからだ。
陽南子は監督として何度も現場に出てはいるが、鉄筋を接いだ経験はない。その上、普通の建設作業員に比べて高所作業が多いとびは、それだけでも慣れるまでに時間を必要とする職種で、一人前になるまでに何年かかるか分からないくらいだった。

結局、源之助は最後までこの話に首を縦に振らなかった。今までどんな我侭もきいてきた、たった一人のかわいい孫娘の願いだが、これだけは承服できなかったのだ。
そして祖父が出した答えは、「巽組はどこか大手の引き受け先に譲る」という信じられないような結論だった。




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